2012年08月23日

あなたの知らない信濃ワイン Part 1

あなたの知らない信濃ワイン Part 1
子供の頃、夏休みにテレビで放送していた怖い番組、覚えていますか?  「あなたの知らない世界」。ウィキには、【一般視聴者らが体験した恐怖・心霊体験を再現ドラマや取材などを交えて検証し、それを霊能力に強い関係者や新倉イワオ(放送作家)らが分析・解説したものだった。】とあります。
本編のタイトル的に、(怖がらせるような)誤解があるといけませんので、補足の説明を入れておきましょう!
【怖いお話しじゃありません。チビッ子も安心して見ていいよ!】

ワイナリー1階の出荷場より、中2階へと繋がる踊り場からの風景です。一般の皆様が立ち入る場所では無い為、ほぼ従業員のみしか「臨めない」場所なのですが、私、ここからの眺めがお気に入りなんです。眼下にレトロな佇まいを見せるワイン製造所、洗馬地域より木曽方面を見通す遠景、微かに自社のメルロ畑が臨めます。

「ふ~ん、そんな景色が信濃ワインから見えるんだ~、へ~。」

並みのブログでしたら、こんな風景撮れました的な画像があればOKなのでしょうが、上記のような皆さまのご感想だけでは飽き足らないので(笑)、今回は建物&歴史の話しを大真面目にてご提供いたします。
あなたの知らない信濃ワイン Part 1
【現社屋のゴシック建築様式美は、この古い建物からインスパイア(ヒントを得た)されたのかな?】
屋根窓も、本来の採光や通気の目的ならば屋根面に突出していたほうが効果的なのでしょうが、棟(むね)から煙突のように飛び出してるし・・・・。眺めていると、この建物・・・色々と不思議なトコロが出てくるのです。そもそも、洋風なのか和風なのか? まぁ、あいだを取って「和洋折衷建築」なのでしょうけど。
ちょっと調べてみると、「和洋折衷建築」、色々とあるんですね。私たちが一番身近なのが、日本最古の小学校で知られる、お隣 松本市の旧開智学校(国重要文化財)。 やはりお隣の岡谷市にも、明治9年に天竜製糸所として創業した一山カ林製糸所の初代林国蔵の旧住宅、旧林家住宅(国重要文化財)があります。

『(両方とも)重文じゃんicon10
【古い建物だけど、あまり歴史的な価値は無いのかな?】 そうだ、会長に聞いてみよう!

あなたの知らない信濃ワイン Part 1
「お早うございます、会長!」
出社した、御年86歳の塩原 博太会長を無理やり捉まえて、色々と話しを伺ってみました。



【判明したこと】


現ワイン製造所の建物は・・・

あなたの知らない信濃ワイン Part 1
岡谷市 旧今井小学校の体育館!
会長は、「体操場じゃ」と強調していましたが(苦笑)・・・。

塩尻峠を超えて、岡谷市に入ってすぐの今井地区に旧今井小学校はありました。(昭和42年に今井・中央の2小学校が合併→廃校。現在は、神明小学校) 昭和26年頃、当時「塩原食品研究所」(現 信濃ワイン)の初代社長 塩原武雄が、今井小学校の体育館解体の話を聞きおよび、「(塩尻峠を越えて、移築してでも)残しましょう!」とのことで、今に至ります。 会社のある太田地区200戸の皆さんの多大なご協力もあり、解体された旧体育館は組み立てられ、果汁製造所としての新たな役割を与えられたのでした。

鬼瓦部に当る部分、「日本~」って彫られていますよね。
戦前の古い建築物ですし、時代背景的に太平洋戦争中の国威高揚が関連しているのかな?とも考えたのですが・・・。


【判明したこと】


会社名でした。(日本果汁工業株式会社)

あなたの知らない信濃ワイン Part 1
「日本~」の「~」部分は、果汁だったんですね。雨風の浸食もあり、判別が出来ませんでした。
実は、塩原食品研究所時代と、現在の信濃ワイン株式会社の変遷の流れの中に、埋もれてしまった一時(ひととき)があったのです。
昭和30年。本物志向のジュースやピューレなどの加工品は、将来的に地域全体が潤う産業になり得るとの期待を抱き、
初代 塩原武雄は「日本果汁工業株式会社」を立ち上げました。販売は、東京の別の会社が受け持ったため、今でいう合弁事業の体を成していました。
結局、短い期間で解散してしまった「幻の会社」ですが、人任せにせず、生産から販売までを一貫して自分たちで担うメーカーとしての責務は、その後の「塩原物産(のちの信濃ワイン)」に教訓として引き継がれていくのです。

モノクロ写真の左端に佇むのが、初代 塩原武雄。荷台にいるのが、話しを伺った現会長 塩原 博太。荷台に、果汁の文字が入った「木箱」がありますよね。
線が横に二本入っています。
線が横にニホン入っています。
ニホンを「日本」と読ませて、プラス、果汁・・・。
「日本果汁工業株式会社」のトレードマークです。

ニッカウヰスキー株式会社(現代仮名遣い:ニッカウイスキー)の前身である「大日本果汁株式会社」が北海道余市郡余市町に設立され、同社の略称「日果(にっか)」の片仮名書きが現在のブランド名になっているのは有名な話ですが、昭和のネーミングセンスというのは、どこか通じるモノがあるのですね。

実は今年の6月、このモノクロ写真に写る「トラック」に纏わる、大変面白いストーリーが現代に紡がれていることが判ってきました。
詳細は、またの機会に・・・。

営業企画  橋詰


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この記事へのコメント
そうっだったんですか。
岡谷市の小学校の体育館だったとは、驚きました。
「パート1」ってことは、2,3・・・と続くのでしょうか。
楽しみです。
Posted by すいっぴー  at 2012年08月26日 23:23
すいっぴーさん、こんにちは!ご閲覧、有難うございます。投稿の日、裏付けを得ようと合併後の小学校へ出向き、「小学校誌」的な検証できる資料を拝見しようと思い立ったのですが・・・。不審人物がウロウロするのもイカンだろ、とキチンとアポを取っての出直しを図ることにしました。
歴史的な事象は、社員でも知らないことが多すぎます。。。徐々に明らかにしていきますので、お付き合い下さいませ。

営業企画 橋詰
Posted by 信濃ワイン信濃ワイン  at 2012年08月27日 05:44
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